子供の頃、秋になると動物園によく連れて行ってもらった。
僕の父は絵かきなので毎年秋には上野の美術館で展覧会が催される。母と一緒に父の絵を見に行った帰りには、必ず隣の動物園に立ち寄ることを約束していたからだ。僕にとって展覧会よりも動物園がお目当てであったことは言うまでもない。動物園で写真を撮るようになったのも、もしかすると、こんなところにルーツがあるのかも知れない。
動物園に通い始めてから大分になるが、初めの頃はフィルムの消費量も多かった。動物が好きであるとか興味を持つということは確かに撮影する動機にはなっているのだが、必ずしも満足できる作品を撮れることには結びつかない。可愛らしい、珍しい、面白いと動物たちの一挙手一投足に引きずられて、ついつい撮らされてしまうのだ。好きが故にどっぷりと浸かってしまい冷静さを欠くこともある。一歩引いたところで見つめることの重要性に気付くまで僕はかなり時間をかけてしまった。特に学問として動物や動物園を深く探究するつもりはないが、大いに体験、経験をつむことによって自分なりの動物園撮影学なるものを作り上げようと思っている。
なぜアフリカやオーストラリアではなくて、動物園にこだわって写真を撮っているのかと良く聞かれる。簡単に言ってしまえば、動物園という特別な世界がそこにあり魅力を感じているからだ。
動物園の動物には飼育されている個体特有の独特な行動や生活態度がある。
そんな動物たちを表現するには、動物園という特殊な環境を積極的に取り入れるべきだ。
例えば、写真的に邪魔もの扱いされる檻とか人工的な構築物も、必要とあれば嫌わずに取込むことも大切である。要は動物園の環境を生かした動物写真を作りあげることな
のだ。
同じ動物写真の分野だが、動物園の撮影は自然のフィールドの場合とは全く別の方法論で考えるべきだと思う。動物園の動物たちに野生動物の姿を求めても無理である。それらしく
撮ることは出来てもそれはナンセンスというものである。
もしも野生の象やライオンを撮りたかったなら、僕はすぐにでもアフリカのケニアとかタンザニア辺りに飛んで行くだろう。しかし今の自分には動物園があり、そこにはかけがえのない仲間たちが大勢いる。彼らの感動的な姿に接しながら、すでに写真の被写体などという領域をこえてしまうほど彼らに心を奪われている。
動物園は僕のロマンである。